花夜子



 実家には年に二度ほど、お盆とお正月くらいしか帰らない。私が帰る時葵さんはほとんど仕事に出ているので、千世と、陽斗も入れて三人でごはんを食べたり、テレビを見たり、朝まで話をしたり。いつまでも話題の尽きない私たちを見て、陽斗は呆れを通り越して感心していたりする。
 けれど、今日は陽斗を呼ばない。千世が恥ずかしがって陽斗には話したくないと言うからだ。陽斗も千世の好きな男の話なんて聞きたくはないだろう。私も、陽斗には話さなくていいと思っている。あの男は千世にはふさわしくない。

「やっぱり小野宮専務って社内でもすごく人気があるんだって」
「ふーん」
「格好いいもんね」
「顔だけはね」

 千世は延々と、樋口さんたちから聞いたという話をしている。やはりあの男は社長の息子で、次期社長候補だそうだ。名前は小野宮珠樹。他にも千世はいろいろと話をしていたけれど、もともと聞く気がなかった私はほとんど覚えていない。
 それよりも私が気になっている話は、樋口さんと木下さんの話。私が見た感じでは、二人はお互いに信頼し合っているようだった。仕事に関して相手を尊敬し、認めているようにも見えた。しかし千世の話を聞くと、どうやらそれだけではないように思える。
 樋口さんは木下さんの四年先輩で、木下さんが入社して初めて配属されたのは樋口さんと同じ部署だった。樋口さんは木下さんの教育係となり、二人は一年間一緒に仕事をした。その後樋口さんは部署異動となったが、それからも二人は食事に行ったりして仕事のことについて話をしているようだ。
 二人のプライベートな関係について、千世はまったく気付いていないようだけれど。

「わたしって、入社したばかりの頃の木下さんに似てるんだって。わたしも何年かたったら木下さんみたいになれるかな」
「千世次第だよ。ところで人見知りの千世がよくそんなにたくさん話できたね」
「二人ともやさしくて、わたしが不安だって言ったらいろいろ話してくれた。専務のことも気にしなくていいよって」
「いい人たちがいて安心だね」
「うん。わたし入社したら木下さんと同じ部署がいいなあ。女の人は交代で受付するんだって。木下さんもあの部署にいたから人見知り克服できたって言ってた」

 たしかに、毎日顔を合わせる人たちだけでなく外部のお客さんの対応をする受付は、恥ずかしくて話せないなんて言っていられない。受付は会社の顔。受付の対応一つで、会社の印象は決められてしまう。
 千世がやる気になっているのであれば、今の千世には最適な部署かもしれない。毎日受付ばかりではストレスが溜まるかもしれないけれど、そうでもないようだし。

「あ、ねえそういえば、私のこと何か言ってた?」

 少し気になっていたことだ。樋口さんは私があの男を引っ叩いたところを直接見てはいないけれど、木下さんはばっちり見ていたのだから、あの場で話題になってもおかしくない。恥ずかしいのと同時に申し訳ない。彼らの上司にあんなことをしてしまったのだ。
 千世はおかしそうに笑う。木下さんは私のことを、元気がいい人ですね、と言ったそうだ。話を聞いた樋口さんも、笑顔でうなずいていたとか。

「明日はるくんにも報告しなきゃ」
「そうだね。千世の就活がうまくいってないことすごく心配してたし。私のことは全然気にかけないのに」
「花夜子は心配しなくても大丈夫だって思ってるからだよ。第一志望のところに採用されるって。わたしも心配してない」

 本当に大丈夫だろうか。千世と違ってどこかから内定をもらっているわけでもないし、私が第一志望とする理由は、「役に立ちたい」「魅力を感じる」などではなく、本当に個人的なこと。事実を言えば必ず落ちる。だから、もっともらしい理由を書いた履歴書を送っているのだけれど。



「あ、はるくん来た」

 翌日、陽斗に千世の内定報告をするため、私たちは陽斗の講義が終わるまで図書館で時間をつぶしていた。千世は落ち着きがなく立ったり座ったりを繰り返すので、どうしてそんなにそわそわしているのかと聞くと、忙しい陽斗をわざわざ呼び出して内定報告だけというのは悪い気がする、でも電話やメールではなく直接言いたい、どうしたらいいかわからないということらしい。どうしたらもなにも、もう陽斗には来てもらうことになっているし、今さらやっぱりいいと言っても陽斗がよけいに気にすると言うと、やっと落ち着いたのだ。

「話したいことってなに?」
「うん。あ、ごめんね、忙しいのに急に呼び出して」
「いや。時間ならいつでもつくれる。春休みだしな。俺が先生に頼み込んで特別に授業してもらってるだけだし」

 その熱心さには感心する。陽斗のいいところの一つだ。何に対してもまじめで一途。
 千世も、すごいねーなんて言って笑っている。こうして見ると、まるで恋人同士だ。千世にその気があれば、二人はそんな風に思わなくても、私は完全に邪魔者。今でさえ居心地が悪いのに。

「それで?」
「えっとね……わたし、就職決まったよ」
「決まったのか? よかったな」
「うん、ありがとう」

 陽斗は安心したように笑う。千世は頬を赤らめて照れているようだが、それでもうれしそうだ。
 私が千世から報告を受けた時は、驚いたけれど素直に喜べた。心から「おめでとう」と言えた。でも、今はうまく笑えない。二人と同じように笑えない。
 まだ二人は付き合っているわけではない。むしろ千世は、陽斗じゃなく別の男が好き。それがわかっているのに、私の千世に対する嫉妬心はどんどん大きくなる。以前はうまく抑え込むこともできたのに、最近はそれも難しくなってきた。このままだと、きっといつか爆発する。

「ごめん、私今日バイトあるから」
「あれ? まだ時間あるんじゃないの?」
「うん、でも早めに行って準備したいし」
「そっか。付き合わせちゃってごめんね」
「バイト、がんばれよ」
「うん。陽斗も千世のながーい話に付き合ってあげて。面接で出会ったすてきな人のこととか、いっぱい話したいんだって」
「もう、花夜子!」

 千世は嘘をつけない。聞かれれば、すべて話してしまうに違いない。昨日はあの男にムカついて、陽斗には言わなくていいなんて思っていたけれど、今はまったく反対だ。言ってしまえばいい。言ったところで表面的なものが変わるわけじゃない。陽斗が焦って悩むだけ。千世の気持ちが加速して、だめになった時に大きく傷つくだけ。
 だめにならなくても、あんな男相手じゃ幸せになんてなれない。やめさせなきゃだめなのに、それとは逆のことしかしていない気がする。
 後で後悔するのはわかっているのに。私だって、自分の醜さが嫌になるのに。どうしてこうなんだろう。自己嫌悪に陥らない日なんてない。

「はあ、どうやって時間つぶそうかな」

 千世にはああ言ったけれど、バイトの時間まで三時間もある。準備することなんてないし、移動時間を考えると買い物にも行けない。今の気分のまま近くの喫茶店に行っても、よけいに落ち込みそうだし。家に帰ってテレビでも見て、頭を空っぽにしようか。
 ため息をついた瞬間、誰かにぶつかった。ぶつかるまで気付かなかったのは、うつむいて歩いていたから。「何か」ではなく「誰か」だとわかったのは、立派な革靴が目に入ったから。

「すみません」
「いえ。しかし君はよくため息をつく人ですね」

 とっさに謝ってしまったことを悔やんだ。聞こえた声、見上げた顔に、不快感がこみ上げる。きっと私の顔にも出てしまっているけれど、隠そうなんて思わない。
 小野宮珠樹。私の脳には「敵」としてインプットされている最悪な男。その男がなぜか、今私の目の前に立っている。
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