溢れた愛はきみに



 彼女が僕の前から去ったのは、冷たい雨が降りしきる3月のことだった。
 僕は彼女を愛し、彼女は僕を愛していた。けれど二人の愛の形は同じものではなく、それゆえ彼女は苦しみ、僕に別れを告げた。
 彼女は見返りを求めなかった。僕に与えてくれる愛に対する見返りを。
 だから僕は錯覚してしまったのだ。彼女が僕から離れるはずがないと。何をせずとも、彼女は僕のそばにいてくれると。
 いつしか僕は、彼女に愛を伝えることをしなくなった。もちろん彼女への愛は変わらなかったが、彼女に愛されているという思いに安心しきっていた僕は、彼女への愛を頭の片隅に追いやってしまっていた。彼女の傷ついた瞳にも気付かないほど奥深くへ。
 僕は愚かだった。彼女を失って初めて、僕の愛は過去の彼女と同じ形を取り、今でも変わらずここにある。



 読んでいた本をぱたんと閉じ、冬貴はほう、とため息をついた。頬杖をついたまま目を閉じて「いいよなあ」と呟くと、出されたばかりの課題に必死に取り組む春子がふと顔を上げた。冬貴は微笑んで春子に問いかける。

「春子の好きな季節って冬だったっけ?」

 春子が、しんとして空気が澄みわたる冬の夜が好きだと言っていたことを、冬貴は思い出していた。冬貴の経験上、好きな季節を尋ねて「冬」と答える者はほとんどいなかった。冬は寒くて嫌いだ、朝布団から出たくなくなる、動くことすら億劫だ、などなど、行動力を鈍らせる寒さをもたらす冬は、他の季節に比べて人気が低い。そんな中、春子は迷わず「冬が一番好き」だと答えた。こたつに入ってみかんを食べるのが至福の時だとか、暖かい室内でチョコレートを食べながらテレビを見るのが好きだとか、春子らしい答えが返ってきて苦笑をした覚えがある。そして、「でも一番の理由は、」の後に続いた言葉に少しだけ感動した覚えも。

「武田も冬が好きなんでしょ? 自分の名前に冬がついてるから」
「そうだけど、春もいいよね。俺、春子のこと好きだし」

 呆ける春子の顔があまりにもおかしかったので、冬貴はついふき出してしまった。自分の思うことを素直に言っただけなのにそんな表情をされるのは、少し残念でもあるけれど。

「いやー、でも春子だけじゃなくてみんなかな。俺のことを愛してくれるみんな。無償の愛ってやつだよね。お互いに」
「ちょっと。びっくりした。告白されたのかと思った」

 でも無償の愛だなんて、武田には似合わないよ。だって武田は見返りを求めるじゃん。愛がほしかったら俺に尽くせ、俺に跪け。ところで食後には熱いお茶を飲むのが習慣なんだけど、とかふんぞり返って言うもんね。無償の愛は求めるもので与えるものじゃない、って思ってそう。
 さんざんな言われようだが、冬貴は変わらず微笑んでいる。そんな冬貴をちらりと目の端にとらえた春子は、「あ、ごめんなさい」と小さく謝った。

「俺はむやみやたらに愛を振りまくわけにはいかないからなあ。だって俺に無償の愛を与えられた人って、幸せすぎて死んじゃうんじゃない?」

 真剣に考え込む春子の肩をぽんと軽く叩き、冗談だと言うと、冗談に聞こえないから、とため息を返される。

 ドアの向こうが騒がしくなり、毎日のように顔を合わせる仲間の声が近くで響く。それが、冬貴が愛を注ぐ執行部の活動開始の合図だ。
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