頭韻と脚韻と三文字と



「みぃよすぃー!」
「……」
「たーいすぃー!」
「……」
「返事くらいしろバーカ」

 ……プチ

 あれ、今何か聞こえた気がするのは俺だけか? 健康的でない音が聞こえた気がするのは俺だけか?

「でも宇宙よりも広い心を持った私は、そんなこと絶対に気にしないんだ」
「意味がわかりませんけど。それよりも俺に対する嫌味のように聞こえますけど」
「三好の名前って韻を踏んでるよね。みよし! たいし!」
「わざわざ強調しないでください。なんの嫌がらせですか」
「脚韻を踏んでるよ。三文字ずつでリズムもいいし」
「とりあえず謝ってください」
「あ、アメいる?」
「謝ってください」

 我が図書部部長もたまに、突然、気が狂ったような発言(例:「この革表紙に美しい筆記体で書かれた金文字が僕の心臓を云々……」「僕にとってこの図書室は聖域だ!」など)を繰り出すが、それもいつものミコトのぶっ飛び発言に比べればかわいいものだ。
 大志も毎日毎日大変だな。
 思えばミコトが大志に目をつけたのは、大志が図書部に入部したその日のことだ。あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。

『黄金のワカメ! 海のガラス玉!』

 大志が入部届を持ってやってきたとき、俺を含め、その場にいた誰もが驚いて固まったにもかかわらず、ミコトだけは目を輝かせていた。
 たしかに大志の髪は輝く金髪でゆるくウェーブがかかっているし、瞳は沖縄の海のようなエメラルドグリーンで、透き通って美しい。だからといって大志が不良というわけではない。
 これは大志と関わっていくうちにわかったことだが、大志はむしろクソがつくほど真面目で品行方正、この学校一の優等生と言っても過言ではない。彼の人目を引く外見はもちろんすべて自前、イギリス人である母親の遺伝子のためなのだ。
 ちなみにミコトは大志が帰ったあと、当時の部長に、自分を大志の固定のペアにしろ、と無茶でバカな要求をしていた。ペアというのは、日替わりで昼休みや放課後に図書の貸し出しや返却を行なう二人組の当番のことである。
 この学校には図書委員会なるものが存在せず、司書教諭もいない。代わりに図書館に関するあらゆる業務を行うのが「図書部」という部活なのだ。
 通常ペアは固定されることがない。男女二人組で、それぞれ順番を決めてローテーションさせるという決まりがあるからだ。男女が同じ人数ならば毎回同じペアということになるが、図書部に入部するのは女子の方が圧倒的に多いため、そうなることはまずない。
 当然、ミコトの要求が通るはずはなかった。当時の部長も、大志にも負けず劣らずのクソ真面目な人だった。
 けれどペアになろうがなるまいが、そんなことは関係なかった。なぜなら図書部は本好きが集まる部活だからだ。昼休みや放課後は、部員のほとんどが図書室に集まる。当然大志も、そして無茶でバカなミコトも。

 そしてその無茶でバカなミコトは、今紙を取り出して何かを書いている。

「か・じ・ひ・ろ・あ・き。うーん、だめ。か・み・は・ら・な・お・き。あ、キモい。どれもだめだなぁ。やっぱり『三好大志』が一番グェってくるんだよね」
「変な音をつけて変なことを言うのはやめてください」
「じゃあなんて言えばいい? 『ポス』とか『カス』っていうのは軽い感じがするし、もっとずっしりと重い感じを表すにはやっぱり『グェ』が一番だと思うんだけどなー」

 「グェ」のどこがずっしりと重いのかを教えてほしい。基本的にミコトはどこかなにかが間違っているのだが、そこからさらに間違った方向へと進んでいくものだから、俺たちはもうどうしようもない。
 ちなみにミコトが先ほど口にしていた「梶裕章」は俺の名前。「上原直輝」はミコトよりも幾分かマシなだけの現部長である。
 ミコトは大志にかまうのが好きだから、大志のおかげで俺たちは被害を免れているものの、さすがに今の状態では大志がかわいそうだ。
 かと言って俺たちが口を出すと……

「グェってなんなんだ。気持ち悪いじゃないか。なんなんだよグェって。もっといい言葉があるだろ」
「うるさいアホ原。クソ原。ハゲはら。キモはら」
「アホじゃない! クソじゃない! ハゲじゃない! キモくない!」
「バーカバーカ」
「バカは一番許されないんだ! バカって言ったやつがバカなんだぞ! ミコトのバカ!」
「あん?」
「あ、すみませんでした」

 ということになってしまう。空気を読めない直輝はいつもこうだ。
 俺たちにはどうしようもないのだ。かわいそうだが、当分大志にはこの状況を我慢してもらわなければならない。



「ねえ梶! 私すごいことに気づいた」

 ミコトの相手をするのは、直輝の相手をすることの次に面倒だ。だから返事が多少いい加減になってしまうのも仕方がない。ミコトは俺の返事がどうだなんて気にもしないから、俺はいつも似たような返事しかしない。

「私、三好ミコトだよ!」

 たしかにいつも似たような返事しかしないのだが、たまにこういういつも以上にぶっ飛んだ発言をされると、どう反応していいかわからない。なんでお前の苗字がいきなり三好になってるんだ。

「すごくない? 三好と結婚したら、三好ミコト! 三好が脚韻踏んで、私は頭韻踏んでる! しかも三文字!」

 わかったから、耳元で大声を出すなよ。しかもここは図書室だ。それに俺には頭韻も脚韻も興味ないし関係ない。三文字もだ。俺に言う前に大志に言ってやれ。たぶん思いっきりいやそうな顔をするから。
 と、そんなことをわざわざ俺が言わなくても、大志がここにいればミコトは真っ先に大志のところに行ったに違いない。得意気な顔をして。
 けれど今日はまだ大志が来ていない。放課後図書室に来る順番というのはいつもだいたい決まっている。ミコトが来て、大志が来て、直輝が来て、俺が来る。その他の部員たちはそのあとだ。
 だからその他の部員たちのほとんど全員が来ているにもかかわらず大志が来ていないというのは、ちょっとした異常事態だった。
 大志と同じクラスの部員に聞いてみると、学校には来ているらしい。直輝ならなにか知っているかもしれないと思ったが、直輝のところにも連絡は来ていないようだった。

「三好ミコト。私の永遠の夢」

 つぶやくように言ったミコトを、俺と直輝が同時に見た。先ほどまで飛び跳ねていたのに、今はおとなしく椅子に座ってしゅんとしているミコト。これまた異常事態だ。

「いつか現実になるから、永遠の夢ではないんじゃないか?」
「だから上原はバカなんだ。現実にならないから永遠の夢なんでしょうが」
「意味がわからないんだけど」
「上原の頭の方が意味がわからないんだけど」

 俺もいろいろと意味がわからないんだけど。
 一つ目は、直輝が「三好ミコト」はいつか現実になることだと言ったことに何の疑問も持たなかった俺。
 二つ目は、ミコトが「三好ミコト」は現実にならないと言ったことに疑問を持ってしまった俺。
 つまりなにが言いたいかというと、直輝に共感してしまった俺に納得がいかないということだ。よりにもよって直輝だ。意味がわからない。

「三組のかおるこちゃんは、婿養子を探してるんだって」
「三組にかおるこちゃんなんていたっけ?」
「いるじゃん。二年三組に」
「三年の僕に三組って言ったら、普通三年三組を思い浮かべると思うんだけど」
「でもかおるこちゃんは二年三組なの」
「そのかおるこちゃんが婿養子を探してるから、大志は三好じゃなくなるわけか」
「そういうこと」

 どうしよう。俺、この二人の会話についていけない。とりあえず、もう一度会話を整理する必要がある。
 まず、二年三組にはかおるこちゃんという子がいる。
 そのかおるこちゃんは婿養子を探している。
 そしてかおるこちゃんが婿養子を探しているから、大志は「三好」ではなくなる。
 つまり、二年三組のかおるこちゃんは婿養子を探していて、かおるこちゃんの婿になるのが大志だから、大志の苗字が「三好」ではなくなるということか。なるほど。……じゃねぇよ。
 婿ってお前、大志はまだ高校二年生だ。齢十六のぴちぴち男子だ。日本の法律では、まだ婿になれる年齢ではない。
 それともかおるこちゃんと大志はすでに結婚の約束でもしているのだろうか。冗談じゃない。もうすぐ十八になろうとしている俺は、まだ女子と手をつないだことしかないというのに! しかもそれは体育祭のフォークダンスのときの話だ。

「それって大志に確認した? ……ねえ、その『これだから上原は』って顔やめてくれない?」
「はぁ……これだから上原は」
「口に出せばいいってもんじゃないから」
「だって今日三好来てないじゃん。かおるこちゃんと一緒にいるんだよ」
「なんでかおるこちゃんと大志が一緒だってわかるわけ? エスパー? すごいな」

 なぜか勝手にミコトをエスパーだと決めつけた直輝にツッコミを入れたかったが、ミコトが否定もせずに話を続けるものだから、俺はもやもやしたまま二人のちょっと謎な会話を聞き続けるしかなかった。

「昼休みにここに来る途中で三好を見たの。かおるこちゃんと一緒だった。かおるこちゃんが三好に言ってた。放課後話したいことがあるから屋上に来てって」
「そのときかおるこちゃんは婿養子を探してるって言ったんだ?」
「違うよ。かおるこちゃんはそんなこと言ってない」
「じゃあなんでかおるこちゃんが婿養子を探してるってわかったのさ」
「なみこちゃんが言ったからに決まってるじゃない」
「なるほど。ところでなみこちゃんって誰?」

 なるほど、じゃないだろ。もうだめだこの二人。
 俺が長い溜息をつき、両手で顔を覆ったところで、図書室のドアが開く音がした。手をずらしてドアの方を見ると、きらきらと揺れる金髪が目に入った。
 大志はまっすぐ直輝のところに歩いてくると、流れるような動作で頭を下げたあと「連絡もせず遅れてすみません」と言った。
 いや、謝る必要はないからな? だってお前、当番じゃないだろ。当番以外の部員は図書室に来ることが義務じゃないぞ。
 しかしそれにしても、大志は日本人よりも日本人らしい。日本語だってうまいし、俺も知らないような四字熟語がぽんぽん出てくるし、日本式礼儀作法もしっかりと心得ている。父親に厳しく教育されたとかなんとか言っていた気がするが、正直あまりよく覚えていない。ごめんな。

「いいんだ。かおるこちゃんと一緒だったって聞いたよ」
「かおるこ……? 誰ですか、それ」
「二年三組のかおるこちゃんだ。かおるこちゃんは婿養子を探してるって、なみこちゃんが言ってたらしいじゃないか。僕もたった今聞いた話だけど」
「話についていけません」

 うん、それが正常な感覚だと思う。
 神妙な顔をして話す直輝の隣で、ミコトはうつむいて黙り込んでいた。そんなミコトをちらりと見やり、大志は俺の方に向き直った。

「この人はどうしてこうなってるんです? 気味が悪いんですが」

 それも正常な感覚だ。
 まあ座れと隣の椅子を指示すと、大志はそれに従った。
 これまでのミコトと直輝の会話から、俺が理解できたことをわかりやすく大志に説明する。大志は頭を抱えて低く唸った。

「またこの人はでたらめな情報ばかり。俺は二年三組の『かおるこ』も、何年何組かわからない『なみこ』も知りませんよ。この人が雰囲気で勝手に名前を付けたんでしょう。婿養子なんて話も聞いたことがない」

 うつむいたままのミコトに問うと、黙ってこくりとうなずいた。名前の件に関しては。
 しかし婿養子の話は本当らしい。

「大志が『三好』じゃなくなるって、ミコトが悲しんでる。だから婿にいくことだけはしないでくれないか。ミコトがかわいそうだ」
「俺はまだ十六です。婿にはいけません」
「十八になっても八十になってもだ。ずっと婿にはいかないでほしい」
「それは俺の自由だと思いますが」
「だめなのよ! 三好は三好じゃないとだめなの!」

 ガッタン、と椅子を倒して勢いよく立ちあがったミコトは、誰もが注目するほどの大声で叫んだ。
 机に頬杖をついていた俺も、姿勢よく座っていた大志も、足を組んでいた直輝も、皆ぽかんと口を開けて間抜け面だ。

「私は『三好大志』が好きなの! 三文字で脚韻踏んでる『みよしたいし』が好きなの! だから三好は三好じゃなきゃ……私も、夢を見れなくなっちゃうじゃない」

 そこまで言って、ミコトは床にぺたりと座り込んだ。
 「三好ミコト」が、ミコトにとっての永遠の夢なのだ。

「先輩の夢がなんなのかは知りませんが……三文字で脚韻を踏んでる『みよしたいし』という名前だけが好きなら、俺はいつか婿にいきます」

 ミコトはぴくりと肩を揺らす。
 図書室にいる誰もが、興味津々で大志とミコトの方を見ていた。

「さっき、先輩の言う『かおるこ』に付き合ってほしいと言われました」

 まさか大志、本気でかおるこちゃんの婿になるとか言い出すんじゃないだろうな。やめてくれ。早まるな。
 せめて、俺が女子とのいろいろを経験してからにしてくれ。

「でも彼女の苗字は四文字で、名前は二文字でした。頭韻も踏んでない。だから断りました。俺は、三文字で、頭韻を踏んだ名前と、その名前の人が好きです」

 俺は絶望した。大志まで、三文字だ頭韻だなどと言い出すなんて。
 直輝が机に山積みにしていた本がどさりと崩れ落ちる。図書室は本来あるべき静寂を取り戻した。



 結局、クソ真面目だった大志も、少しずつミコトに毒されてしまっていたのだ。
 俺の絶望が希望に変わったのは、大志の発言の一分程のち、大志が言ったことの意味を理解したときだった。
 それは三文字で脚韻を踏んだ「三好大志」の、三文字で頭韻を踏んだ「三原ミコト」への愛の告白。図書室にいた者すべてに祝福された大事件だった。

 そしてそれから三年も経たぬうちに、ミコトの「永遠の夢」は夢ではなく現実となる。
 三文字で脚韻を踏んだ夫は、三文字で頭韻を踏んだ妻の扱いに苦労し、二人は噛み合わない会話を繰り返す。
 けれど夫は妻を、妻は夫を生涯愛し続け、いつまでもどこまでも微笑ましく、わけのわからない夫婦になるのだ。

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