赤い夕日とかくれんぼ



一歩踏み出すと、そこは知らない世界。
決して、踏み込んではならない世界。
もしも捕われてしまったら、二度と戻っては来られない。


小さい頃、俺はよく、近所に住んでいた女の子と二人で遊んでいた。
毎日毎日、二人でかくれんぼばかり、何が楽しくて同じ遊びを、しかもたった二人だけで繰り返していたか、今はもう思い出せない。

「かくれんぼって、二人でする遊びじゃないよなぁ。」

部活終了後、俺を含め三人しか残っていない部室に、思ったよりも、俺の声は響いた。
昔のことを思い出し、ふと口に出てしまった言葉だ。
その言葉に、すぐそばにいた後輩とマネージャーからの返事があった。

「まあ、そうですね。」
「二人でやっても、おもしろくないじゃん。一人見つけたら終わりなんだし。」
「そうだよな。」
「急にどうしたんですか?あ、もしかして神田部長、かくれんぼしたいんですか?」

二人は不思議そうな顔で、俺を見ている。

「いや、そうじゃないんだ。ちょっと小さい時のことを思い出してね。」
「小さい時ですか?」
「かくれんぼになんか思い出があるの?」

確かに思い出はある。
けれどそれは、良い思い出ではない。

「あ、余計なこと聞いちゃった?言いたくなかったらいいから。うん。」

そんなつもりはなかったが、顔に出てしまったようだ。
まったく、このマネージャーは観察力に長けている。少しの変化でも、見逃さないのだから。

「いや、そういうわけじゃないんだけど・・・うーん、そうだな。二人は神隠しとかってほんとにあると思う?」
「神隠し?神隠しって、突然人が消えたりするやつですよね?」
「謎の失踪事件!みたいなのだよね。」
「むーん、俺はあると思いますよ。そういうのって、あったらおもしろそうだし。」
「おもしろそうって、あんた、わかってる?人が消えるんだよ?おもしろくないよ。」
「そういう「おもしろい」じゃなくて、「興味深い」の方ですよ。」

健太らしい、と思った。
頭の固い人間なら、そんな非現実的なことは信じないだろうし、興味も持たないに違いない。
俺だって、あんなことがなければ、健太と同じように「あったらおもしろい」くらいにしか思わなかっただろう。
しかし、「あった」のだ。
「神隠し」と呼ばれる現象は、実際に存在した。
誰にも話したことはない。けれど俺は、知っている。


ある夏の日、夕暮れ時。
いくら探しても見つからなかった、女の子。


「で、部長、神隠しがどうかしたんですか?」
「いや、あったらおもしろいよな、確かに。」

実際に、あったのに。少しも「おもしろい」なんて思えない。
言葉で嘘をついて、心に嘘をついて、偽者の笑顔を向けると、健太は嬉しそうに笑った。

「そうですよねー!ほら、部長もそう思うって!紗希先輩!!」
「もー、騒ぐな!うるさい!聞いてたから。」

紗希は、ちらりと俺を見る。
気付いたのだろうか。俺の、嘘に。

「さあ、そろそろ帰ろうか。」

二人とともに、部室を出る。
電気を消した瞬間、部室は、まるで違う場所に変わってしまったような気がした。


空は、朱色に染まっていた。
あの時と、同じ色。

『啓一くん』

『啓一くん、かくれんぼしよう』

『みーつけた!今度は啓一くんが鬼だよ』

今でもはっきりと思い出せる、あの子の声。
どうして俺は、見つけてあげられなかったのだろう。

歩きながら、ふと思った。あの場所に、行ってみよう、と。

「俺はちょっと行きたい場所があるから、ここからは二人で仲良く帰ってくれるかな。健太、紗希をちゃんと家まで送ってあげてね。」
「任せてください!」
「じゃあ、よろしく。」

二人と別れの挨拶を交わし、俺は一人、人通りの少ない道に入っていった。
目指すのは、あの場所。俺たちの、最後のかくれんぼの場所。

住宅街を抜け、狭い路地を通り、たどりついたそこは、古い建物。ところどころ塗装がはげたり、コンクリートが欠けたりしている。
あの日、ここで俺たちは、たった二人だけで遊んでいた。

最初は、屋上で。

『今度は啓一くんが鬼だよ。』

そう言って、あの子は走って行った。
俺は10まで数字を数え、言った。

『もーいーかい』

返事はすぐに返ってきた。

『まーだだよ』

このやりとりを何度か続け、やっと彼女からの「もういいよ」の言葉が小さく聞こえた。俺はさっそく彼女を探しに走った。
まずは今いる屋上から。しかし、この場所には隠れられるようなところはほとんどない。
彼女がいないことを確認し、階段を下りる。ここにも、隠れられるような場所は、あまりなかった。
狭い隙間を探す。いない。
ドアを開ける。ここにも、いない。
かくれんぼには向いていない場所、探せばすぐに見つけられそうなのに、いくら探しても、彼女は見つからなかった。
彼女は、隠れるのが上手、というわけでもないのに。

俺は、彼女の名前を呼んだ。

『もう出てきてよ。降参。』

彼女からの返事は、ない。

『ねえ、降参するよ。』

空は、紫色になっていた。早く帰らなければ、両親に叱られる。
俺は、何度も何度も、彼女の名前を呼んだ。
しかし一度も、彼女から返事が返ってくることはなかった。

その日、俺は一人で家に帰り、起こった出来事を、すべて両親に話した。
俺の両親は、すぐに彼女の両親にも連絡をし、人を何人か集めて、その日は一晩中、彼女を探し回った。
俺は家で待っているように言われた。今日は早く寝なさい、と母は言ったが、怖くて、悲しくて、俺は、眠ることができなかった。

朝になっても、彼女は見つからなかった。
警察に捜索願が出されたが、それも、意味のないことだった。


「ねえ、どこに行っちゃったの?」

あの日、かくれんぼを始めた場所に立ち、俺は空を見上げる。

「俺が、見つけてあげないといけないな。君は、待ってるんだろ?」

鳥の声さえ聞こえない、この場所で。

「怖かったんだ、俺は。もっと早く、ここに来るべきだったのに。」

そして君を、見つけてあげなければならなかったのに。

「俺は・・・・」


声が、聞こえた。
俺の名前を呼ぶ、小さな女の子の声が。

『啓一くん』

声がした方を振り返る。
そこには、暗く、大きな、黒い穴。

『啓一くん』

穴の中から、ぼんやりと姿を現したのは、確かに彼女だった。
あの時の姿のまま、俺の名前を呼び、手招きをして。

どうなっているのか、わからなかった。
どうすればいいのか、わからなかった。
俺の足は勝手に動き、暗い穴の方へ、彼女の方へと、引き寄せられるように歩いて行った。
彼女が手を差しのべる。それに答えるように、俺も、手を差し出した。
手と手が触れる、その瞬間。

「神田!!」
「部長!!」

刹那、俺の体はぐんっと後ろへ引っ張られた。
俺の体を支えるのは、二人の手。

「何やってんですか!部長!!」
「え?」
「え?じゃないよ!死ぬ気!?」

見ると、先ほどまで俺がいた場所、その一歩先に足場はなく、ただ数メートル下にコンクリートの地面が見えるだけだった。
落ちていた。二人がいなければ、確実に。

「なんか神田が変だったから、気になって後つけてきたんだよ。」
「危ねー。紗希先輩の言う通りにしてよかった。もーほんとに、何やってるんですかぁ・・・。」
「心臓止まるかと思った。バカじゃないの。」
「俺ちょっと、泣いちゃったじゃないですか。見てこれ。涙。」
「あ、ほんとだ。健太泣いてるじゃん。」

二人をぼうっと眺めながら、俺はつい先ほどのことを考えていた。
あれは、何だったんだ。

「ねえ、あそこに女の子、いただろ?」
「は?女の子?」
「いませんでしたよ。だいたいあそこに人がいるわけないじゃないですか。空中ですよ。」
「さっきまで、いただろ。黒い穴の中に。」
「穴なんてなかったよ。」
「部長、夢でも見てたんですか?」

不思議そうに、心配そうに、二人は俺の顔をのぞきこむ。
どうやら二人には、あれは見えていなかったらしい。
結局あのかくれんぼは、最初から最後まで、俺たち二人だけの遊びだった。
そして俺は、やっと気付いたのだ。彼女はもう、ここにはいないということに。


風が吹いた。

「うわっ!何だこの風!!」
「飛ぶー!!飛ばされるー!!」


風に乗って、あの声が聞こえる。

『啓一くん、啓一くんが鬼だよ。』

ああ、そうか。

「みぃつけた。」
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