花舞小枝 −4−



 人通りが多い時間帯にキャンパスの入り口付近でうずくまっていれば、いやでも注目を集めてしまうのは当然のことだ。それでも洋子ちゃんが私の隣に膝をついて背中をさすってくれていたので、なんとか気分を落ち着かせることができた。やっと脳が働き始めると周囲の視線が気になり出し、泣いているせいで赤い顔がさらに真っ赤になっていくのを感じる。
 とりあえず場所を移そうということになり、私は洋子ちゃんに支えられながら理系キャンパスを出た。川嶋くんの提案で南館裏の公園に向かい、洋子ちゃんと並んでベンチに座る。川嶋くんは飲み物を買ってくると言って公園を出て行った。幸い公園内には誰もいないので、流れ続ける涙を気にする必要はない。

「さくら、大丈夫?」
「うん……ごめん」
「気にしないで。それより、私の方こそごめんね」

 謝られる理由がわからずにぽかんとしていると、洋子ちゃんは軽く笑って「水無瀬くんのこと」と言った。日本に帰ってきているのを知っていて黙っていたことを言っているようだ。
 彼が青凛に戻ってきたことを洋子ちゃんが知ったのは、理系キャンパスで初めて授業を受けた時。授業が行なわれる教室に入り、川嶋くんと並んで席に着いた少しあとのこと。川嶋くんと話をしていると、後ろからぽんと肩をたたかれたのだとか。久しぶりだな、という聞き覚えのある声に振り返ると、そこには彼がいた。いるはずのない人物が目の前にいることに驚いて固まっていると、事情を知っていたらしい川嶋くんが説明してくれたそうだ。
 ドイツに行って約三年、彼の父親が参加していた仕事がある程度落ち着き、ようやく家でゆっくりできる時間ができた頃。大学で建築学を学びながら時々父親の仕事を見学していた彼に、日本の建築技術も学んでこいと彼の父親は言った。独特の文化を持つ日本で、日本の建築について知ることもいい勉強になるから、という理由だそうだ。そして母親も交えて三人で話し合った結果、帰国子女枠で編入試験を受けることができ、以前も通っていた青凛学園がいいだろうということになった。そしてこの春、彼は一人で日本に帰ってきた。

「うちは建築学科もあるしね。水無瀬くん、卒業まではこっちにいるんだって」
「そう、なんだ……」

 卒業までは、あと二年。すぐ隣の理系キャンパスに、彼は通っている。今までと違って、会おうと思えばすぐ会えるところに彼がいるのだ。けれど、すぐに会えてしまうこの距離の近さがつらい。きっと私は彼に会いたくなって、会えば一緒にいたくなって、一緒にいれば、どんどん彼を好きになる。そしたら高校生の頃に逆戻りだ。
 彼がドイツに帰ってしまうことはわかっている。そうなれば、たとえ彼と以前のように付き合えても、私はまた彼と離れなければならない。彼と一緒にドイツへ行くなんて、現実的に考えてほぼ不可能だ。ドイツには短期の語学研修で二週間ほど行ったことがあるだけだし、ドイツ語は日常会話がなんとか話せる程度。これから二年間一生懸命勉強したとしても、卒業後いきなりドイツに行って働きながら一人で暮らしていくなんて度胸は、私にはない。それに彼が近くにいてくれても、迷惑ばかりかけてしまうに違いないから。
 気持ち次第なのかもしれない。けれど、「絶対」がない未来は、臆病な私にとっては恐怖の対象でしかないのだ。

「ねえ、さくら」

 私から視線をそらし、正面にある小さな噴水を見つめて、洋子ちゃんは静かに私の名前を呼んだ。

「告白しなよ。まだ、好きなんでしょ?」

 心臓がドクンと大きく脈打った。
 私は彼が好きだ。離れていても、別れたあとでさえも、この気持ちは消えなかった。けれど、彼はそうじゃない。今日の態度が示している。別れるまでは、彼もわたしを好きでいてくれたのはわかる。でも今はもう、彼は私を必要としてはいない。
 動けなかったのは私だけだった。気持ちを伝えても、結果は見えている。

「ねえ、怖いのはわかるけど、やってみないとわかんないこともあるじゃない。告白して付き合えることになったら、今度はきっとうまくいくよ。あの時より成長したんだから」
「でも、断られたら、私……」
「いいじゃない、それでも。気持ち的には今よりも楽になれるんじゃないかな。さくらが水無瀬くんのこと忘れられないのは、別れた時にうまく気持ちの整理ができなかったからだと思うし。だめならはっきり断られた方がいいの!」

 洋子ちゃんの言うことは正しいと思う。それなのに私はうなずけなかった。
 二人とも黙ったまま数十秒、穏やかな風が草を揺らす音がやけに大きく感じる。なんとなく気まずい沈黙を破ったのは、「よし!」と勢いよく立ち上がった洋子ちゃんだった。

「さくら、旅行しよう!」
「旅行……?」
「そう! 今まで川嶋くんとも近場にはよく遊びに行ってたけど、泊りがけの旅行ってしたことないでしょ? だから二泊か三泊くらいで行こうよ。私とさくらと川嶋くんと、あと水無瀬くんも一緒に」

 洋子ちゃんを見上げると、すでに決定事項だと言わんばかりの笑顔を私に向けている。反応ができずにいると、洋子ちゃんはバッグから携帯を取り出して誰かに電話をかけ始めた。どうやら相手は川嶋くんで、すぐに戻ってきてほしいという話をしているようだ。
 電話が終わると洋子ちゃんは再び私の隣に腰を下ろし、すぐ来るって、と笑顔で言った。そしてその言葉通り、ほんの二、三分で、川嶋くんが公園の入り口に姿を現した。右手にコーヒーの缶を持ち、大股でこちらに歩いてくる。私たちのところまで来ると、鞄の中からペットボトルのお茶を二本取り出し、私たち二人に差し出した。お礼を言って受け取ると、川嶋くんはにこりと微笑んで私たちの隣のベンチに座る。さっそく洋子ちゃんが先ほどの案を川嶋くんに話すと、川嶋くんはうんうんと大きくうなずいた。

「いいね、それ。もうすぐゴールデンウィークだし、ちょうどいいよ。俺、最近すごく温泉に行きたいんだけど」
「温泉! 私も行きたい! ねえ、さくらは?」
「う、うん……」

 ぼけっとしている間に二人の間ではどんどん話が進み、じゃあさっそくこの前のカフェで具体的な話をしようということになった。洋子ちゃんに腕を引っぱられて立ち上がり、そのままひきずられるようにして公園を出る。私の頭の中では、何もまとまっておらずぐちゃぐちゃの状態だ。

「水無瀬も午後からは何もないみたいだから、呼んでつれて行くよ。先に行ってて」

 あとから行くと言った川嶋くんとはいったん正門で別れ、私たちはそのままカフェに向かった。
 お昼のピークを過ぎた時間で客も減ってきていたためか、今回はすぐにボックス席に座ることができた。前の時と同じ、入り口近くの席だ。入り口とは反対側、奥の席に私が、その隣に洋子ちゃんが座る。ここなら川嶋くんたちが来てもすぐにわかるし、なにより店内を横切らなくていい。今日もこのかわいらしいカフェには女性客しかいない。男二人で来ることすら恥ずかしいはずなのに、その姿を他の客に見られたら……。席に着いたあとも、彼らにとっては居心地が悪いに決まっている。
 どうやら洋子ちゃんも同じことを考えていたようだ。

「ねえ、川嶋くんじゃなくて私が待ってればよかったんじゃない? 絶対入りづらいよね?」

 困ったような顔でそう言った洋子ちゃんだけれど、結局「まあいっか」で終わらせてしまった。川嶋くんに「がんばって」というメールを打つ顔は、なんだか楽しそうだ。そのことを指摘すると、だっておもしろいんだもん、という返答。
 少したって返ってきたメールによると、川嶋くんも別れたあとそのことに気づいたらしい。

「なんかみんなしてマヌケだよね。あ、先に何か食べててだって」

 そう言われて、おなかがすいてきた。洋子ちゃんと二人でメニューを眺め、しばらく悩んだあとに店員を呼ぶ。洋子ちゃんは前回川嶋くんが食べたペペロンチーノ、私はミートスパゲティーを注文した。

 話をしながら数分がたった頃、店の入り口のドアが開き、ドアチャイムが店内に来客を知らせた。入り口に目をやると、ちょうど中に入ってきた川嶋くんと目が合う。その川嶋くんが振り返ると、いかにも不機嫌そうな顔の彼が入ってきた。洋子ちゃんが二人の名前を呼び、彼がこちらを向く。私を視野にとらえた直後、彼は眉間にしわを寄せて店を出て行こうとした。川嶋くんが彼の腕をつかんで引っぱり、無理やり奥の席、つまり私の目の前の席に押し込むと、彼は「いるなんて聞いてない」とつぶやいた。
 川嶋くんは、私がここにいることを彼に言わなかったのだ。言えば、彼はきっと来なかった。やっぱり、告白なんて無理だ。今でさえこんなに拒絶されているのに、さらにはっきり言葉にされてしまったら、私はしばらく立ち直れない。
 じわりと涙が浮かんだけれど、今度はぎゅっと目をつぶってこらえた。
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