花夜子
小野宮珠樹と最後に会った日から一週間がたった。あの日から私たちは一度も連絡を取り合っていない。
もちろん、私から連絡なんてしない。用事なんてできようもないから。けれどあの男から連絡がないことに、私は少しがっかりしていた。
小野宮珠樹は、私が父の死の真相を調べることに協力すると言ってくれた。
たった一週間で進展があると思っていた私が間違っていたのだということはわかっている。小野宮珠樹にはしなければならない仕事がたくさんあって、本来ならばプライベートの時間を削らない限り父のことを調べる余裕なんてないはずなのだ。けれど私は、あの男ならすぐにでも有益な情報を持ってきてくれると、心のどこかで思っていた。
こんなふうに思うのは、あの男を信じて頼っているみたいでいやなのに。
千世にも、相変わらず口をきいてもらえないままだった。電話をしても出てもらえないし、メールも返ってこない。陽斗に頼んで千世を呼び出してもらったりもしたけれど、私を見た瞬間に千世は顔を曇らせ、私や陽斗が呼び止めるのも聞かずに帰ってしまった。
こうして千世と話もできないまま最悪な春休みは終わり、私はとうとう大学最後の一年を迎えた。
「おはよう、陽斗」
「おう、花夜子。もうおはようって時間じゃないぞ」
「わかってる」
「花夜子はもう卒論だけだったよな」
これまでの三年間でほぼ単位を取り終わってしまった私は、残りの一年で卒業論文を書き上げて提出すれば、無事大学を卒業することができる。
たしか千世も同じだったはずだ。千世は書きたいものも考えていると言っていたし、問題なくパスするだろう。卒業後の就職先も決まっている。
一方私は、卒論のテーマすらはっきり決まっていない上に、就職できるかどうかもわからない。
千世と比較しなければ、もう少し楽観的に考えることができるかもしれない。卒論のテーマは研究室の先生に相談すればすぐに決まるだろうし、就職先だって選り好みせず根気よく面接を受け続ければ見つかる可能性はある。
けれど私は、どうしても千世と自分を比較してしまうのだ。そして自分に失望する。
「千世とはまだ話せてないのか?」
「うん」
「俺も、花夜子は千世の心配してるんだって言ったら、それからあいつ少しそっけない。『はるくんも花夜子の味方するの』だってさ」
「恋は盲目、なんだよ。あの人顔はいいし仕事もできるみたいだけど、性格に問題ありすぎ。千世にはそれが見えてない」
「俺はどうすればいいんだろうな」
その問いは私に向けたものなのか、それとも陽斗が自分自身に向けたものだったのかはわからない。たとえ私に問いかけていたのだとしても、私には答えることなんてできない。
私の口からもれたのは、乾いた笑いだけだった。
その日の夜、私のバイトが終わるのを見計らったように携帯が着信を告げた。「小野宮珠樹」という名前を映した画面に期待しながら通話ボタンを押す。
けれど相手の用件は、私の想像とはまったく違うものだった。
「デートをしよう」
「いや」
「断る」
「断る」の意味がわからずに黙り込むと、小野宮珠樹はゆっくりと「君が『いや』と言うのを断る」と言った。ややこしい言い回しはやめてほしい。
電話の向こう側で唇の端をつり上げている小野宮珠樹が容易に想像できて、腹が立った。
「君に拒否する権利はない」
「あなたにはあるのに? 不公平よ」
「これも条件の一つだったはずだ」
「……わかったわよ」
「条件」という言葉を持ち出されてしまうと、私は何もできない。どうしてあんな条件をのんでしまったのかと考えて、千世の顔が浮かんだ。すべて千世のためなのだ。
小野宮珠樹は、私のバイトが休みの日の中で自分も都合をつけられそうな日を指定し、どこに行きたいか、何をしたいかを聞いてきた。けれど私はその答えに困ってしまい、返事をできずにしばらく考え込む。
「そんなに考える必要はないだろう。普通のデートだ。今までのデートと同じだと思えばいい」
そんなことを言われたって、私が今までの彼氏としてきたデートは、おそらく「普通のデート」ではない。ちょっと付き合いのある大学の同級生に話したら、みんな驚いていたから。「そんなのデートじゃない」「本当に付き合ってるの?」と言われたことだってある。
それに、小野宮珠樹の普通と私の普通は、きっと違う。だから困るのだ。
「わかった。10時に君のアパートに迎えに行くから、それまでに行きたいところを考えておいてくれ」
いつまでも答えない私に、若干呆れているようだ。
だったら自分も案を出してくれればいいのに、と思ったけれど、聞いたこともないようなセレブ御用達の場所につれて行かれて恥ずかしい思いをするのは嫌だったので、やめておいた。
やっぱり私には、みんなが言うような普通のデートなんて無理なのかもしれない。
たとえば遊園地。これは絶対ないと思う。小野宮珠樹が遊園地にいるなんて想像できないし、私も遊園地は苦手だ。映画館に行ったって私はラブストーリーなんて見ないし、ムードも何もあったもんじゃない。というか、何を見ても途中で寝てしまう。おしゃれなカフェに行っても、きっと二人とも無言。ショッピングは趣味の合う千世と行きたい。
もういろいろ考えるのが面倒になってきた。その辺をドライブとか、ぶらぶら歩くとか、そんなのでいいんじゃないかと適当な考えばかり浮かんでくる。それに小野宮珠樹は10時に私を迎えに来て、いったい何時までデートをする気なのだろうか。私は昼食の時間には帰りたい。
そんなことを考えていて、ふと疑問を感じた。デートなんてする必要があるのだろうか。
そもそも、お互い相手を知られないようにというのが前提としてあるのだ。なのに、わざわざ人前に二人で出て行くなんて。
誰に見られるかわからないのだから、むしろデートなんてするべきじゃない。
断る理由ができたと思い、喜々としてそのことを告げると、小野宮珠樹は今までで一番と言っていいほど大きなため息をついた。
「俺のもともとの目的を忘れたのか? 休日なんて作らなければできないんだ」
「無理して休日を作ってまで会いたい彼女がいるって思わせたいんでしょ? だったらわざわざ外に出なくても、一人で家にこもってればいいじゃない」
「何が楽しくて一人で家にこもらなければならないんだ」
「だったら一人で出かければいいでしょ!」
「一人でいるところを誰かに見られたら意味がないじゃないか。本末転倒だ」
「ああ言えばこう言う!」
「その言葉は君にお返しするよ」
最後に「ムカつく!」と一言、大声で叫んで電話を切った。このことに関しては、小野宮珠樹の理屈に納得できない。
恋人の「ふり」であっても、私たち二人のつながりは誰にも知られてはならないのに。誰かに見られて詮索されでもしたらどうするんだ。小野宮珠樹は、最初に約束したこととこれからしようとしていることが矛盾していることに気づいているのだろうか。
特に私なんて、千世に見られてしまう可能性だってある。もしそんなことがあったら、それこそ本末転倒じゃないか。
私はそんなリスクを冒すくらいなら、一人で家にこもる退屈なんてどうってことない。我慢できる。そもそも私には小野宮珠樹のように、恋人のふりをしてくれる人なんて必要ないのだし。
本当にわがままな男。もう少し私の都合も考えてくれたっていいのに。